› マンゴーぷりん › 2016年01月15日

スポンサーリンク


上記の広告は一定期間更新のないブログに表示されます。新しい記事を書く事で広告が消す事ができます。

  

Posted by みやchan運営事務局 at

2016年01月15日

『おばあちゃん、ありがとう』

島根県から宮崎県に移住して来たグループの中で、父親同士が仲良しだった事から祖父と結婚した私のお婆ちゃん。


子供は私の母親と伯母の2人姉妹でしたが、母は早くに亡くなったので、祖母の面倒は伯母夫婦が大事にみてくれていました。


昨年のクリスマス前に自宅で転倒。
しかし、気丈にも直ぐには他言せず、その数日後に脳内出血による症状悪化がみられて救急搬送。
呼吸が止まったり、痙攣が起きるなどもしましたが、30日までは意識もハッキリしていて返事もしてくれたほど。

「いつどうなるか分かりません...」

そう言われながら年を越し、3日の検査では脳内出血も止まって脳の圧迫が改善していると聞いて本当に驚きました!
それからしばらくは落ち着いた状態が続きましたが、私が付き添った12日に38℃の熱が出ました。
しかしそれも夕方には下がり、またゆっくりと落ち着いて来たと思ったのですが、夜中に容態が急変。
90年と言う長い長い人生に幕を下ろしました。


実家はどちらかと言うと男性上位だったのですが、小さな頃から分け隔てなく優しく接してくれる母方の祖父母の存在は私にとって大きな拠り所でした。

子供の頃に血液中の免疫が極端に低下する病気を患った私は、医大に入院したり、通院したりと周りにかなり心配を掛けて育ちました。

農家に嫁ぐ事を最後まで反対していたのも祖母でしたが、遊びに行くと必ず「家では横になる暇も無いだろうから、少し寝て帰りなさい」と言って枕とタオルケットを差し出してくれていたのを思い出します。





9月にハウスに実った完熟パイナップルを届けると、本当に喜んでくれたんです。
その時、戦後直ぐ祖父が戦争から戻るのを待たずに島根県に居る祖母の伯母さんを訪ねて1人で広島県へ向かい、電車やバスを乗り継いで島根県へ行った時の話を聞きました。

「県境は真っ白な雪が積もっていて、それはそれは綺麗だった!あの景色は今も忘れられん...」

そう言ってにっこりした顔は私が知っている中で最高の笑顔でした。
当時20歳前後だった祖母の1人旅、戦後直ぐの広島に電車やバスが通っていたのも驚きだったし、かなりの費用も掛かったでしょうね?

身を案じていた伯母さんにも会えたようですが、そろばん製作所が今でも続いているのか知りたい様子でした。
もう、叶わないですけど...


「ありがとう」を何度言っても言い尽くせない程、私は沢山の愛情を祖母から貰えて幸せでした。
40歳を目標に生きて来た私だったけど、長生きしてくれたおばあちゃんを見習って、これからの人生を大切に過ごしたいと思います。


今まで本当に、ありがとう。
どうか、安らかに・・・



しばらくの間、ブログの更新をお休みさせていただきますm(__)m  

Posted by 幸せうさぎ at 09:00